上善水の如し(じょうぜんみずのごとし)

日本酒の名前にもなっていますが、『老子』の中に出てくる一節です。
水は形がなく、やわらかい物質ですが、ひとたび暴れると洪水になり破壊的な力があります。

柔らかい水が強くなる、『老子』では柔よく剛を制すのように、柔らかさは実は弱くない、柔=陰の性質の粘り強い力を重視しています。

第10章では

「気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致(いた)して、能(よ)く嬰児(えいじ)たらん。」

という一節があります。

気を充実させることで柔軟になり、赤ちゃんによく似た状態になるというような意味です。
つまり、気の充実で赤ちゃんのようにやわらかく、瑞々しく、若々しくなるということです。
逆に気が不足すると硬くなり、枯れ木のようにカサカサになり老化してしまうと考えています。

この一節はのちの気功の発展に非常に重要な影響を与えています。気功というのはすべて、気を充実することを目的としているといっても過言ではないでしょう。

その源流となる思想を現した本の一つが『老子』であり、もう一つ重要な本を挙げるなら『荘子』となるでしょう。この二つの本に示される内容は、老荘思想としてまとめられる場合も多いものです。ちなみに、東洋医学を作った人々も、老子や荘子の思想の流れを汲んだ、黄老思想の人々であると考えられます。

『老子』という本は、水が基底となるテーマとして流れていて、81章の中で水について直接説いていない章であっても、水がテーマとして隠れていると思います。

例えば、『老子』の中でも最も謎めいた一節である第6章は以下のようなものです。

谷神(こくしん)は死せず。是(これ)を玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、是を天地の根(こん)と謂う。綿綿(めんめん)として存(そん)するがごとく、之(これ)を用ちうれども勤(つ)きず。

谷、玄(暗い、黒いこと)、牝(メス牛)、門などすべて、女性性を表す言葉(暗喩:メタファー)になっており、陰であり、水に通じるものです。それが連綿と尽きることがなく生み続けるようなイメージは、滾々(こんこん)と湧き出る水のイメージとも重なります。

そのようなイメージのつながりの中で『老子』は「水」を語り、そして「上善如水(上善水の如し)」の一節につながるのです。

『老子』ができた時代、中国は戦乱が続き、命が軽視されていた時代です。その中で、世の中の風潮に対するアンチテーゼとして現れた老子の思想は、水、陰、女性性、いのち、肉体といったものを上善とする思想であり、それはいのちをなによりも大切なものと考える思想といえるものなのです。

我々の現代社会も、いのちが軽視されている風潮を感じます。今こそ、老子の思想を理解することが重要になっているのではないでしょうか。

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