五行の金は秋の悲しさか実りのうれしさか?

東洋医学では肺と大腸は五行の金に分類されます。
それ以外にも金に分類されるのは、西、秋、悲しみ、憂い、皮毛、鼻、辛味などです。共通するのはなんでしょうか?

秋の西の空、夕日が沈んでいく途中で、稲穂が金色に輝く、そんな風景を想像するとなんとなくもの悲しい気持ちになるのではないでしょうか。百人一首の5番目の歌(元々の出典は『古今集』秋上・215)に猿丸太夫の以下のような歌があります。

「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」  

これはまさに五行の金のイメージに近い歌です。秋の夜に実際に鹿の鳴く声を聴いたことがある人は、その鳴き声の音色とともにこの歌のすばらしさが理解できると思います。このように五行の中でも不思議な魅力のある金はどのようなイメージなのでしょうか?

五行の木火土金水というのは、五材とも呼ばれ、生活の中で必要なものが選ばれています。そのなかで、金だけが少し異質で、イメージがしにくくなっています。

金だけが、金属の塊のイメージなのかあるいは金属製品なのか、お金なのか、様々に解釈できるからです。東洋医学の基礎ができた前漢の時代には、すでに金属の貨幣もありますし、材質も古い時代は青銅器ですが、戦国時代までには鉄器も普及しています。そんな中、五行の金の中心的イメージとなっていたモノはなんだったのでしょう?

他の五行の要素が、生活の中で必要なものなので、その法則に最も当てはまるイメージのモノは刃物・刀剣の類になります。金の悲しいイメージとも一致します。刃物・刀剣は人を傷つけ、殺すことができるゆえに悲しいと思うのです。

それ以外にも、金属自体が粛殺(粛は粛清の意味)の気を持っていると考えていました。粛殺の気とは目に見えない、生き物を殺す気というような意味です。つまり、金属(金属イオン)には殺菌効果があることも当時の人々は理解していたようです。
日本ではわりと最近まで、青銅が錆びた緑青(ろくしょう)は猛毒だと考えられてきました(このへんの理由についてはこちらこちらのホームページが詳しいです)が、これも東洋医学と少し関係があると思います。東洋医学では五行の金のイメージに引っ張られて、金属が毒であるイメージがあるようなのですが、実際は緑青の毒性はあまり強くありません。

東洋医学では鉄ですら毒と考えられていて、鍼灸の鍼を鉄で作るときにどうやって毒を中和するかについて、論じられているくらいです。(もちろん鉄は実際は無毒です)

話を少し戻しますが、金が刃物であるゆえに、辛味は金の味となります。辛味とは生理学的には痛み刺激と同じであり、「舌を刺すような」味なのです。

また、肺が金である理由を考えると、肺は酸素を取り入れ、血液中のヘモグロビンはそれによって酸化ヘモグロビンになり、酸素を運びます。つまり、鉄が錆びることで酸素を取り込んでいるのです。肺は金属の錆びる性質を使う臓器といえます。

錆びるイメージについて、当時の人々はどのように感じていたのでしょう?
当時の金属の中心は鉄も普及してきましたが、神聖な儀式などに使うのは青銅器が中心でした。
青銅器はいま博物館などで見ると名前の通り青緑色をしています。これは錆びて緑青がついた色であり、実際は当時は錆びていませんでしたので、青銅器(青銅は銅と錫の合金)は金色に輝いていました。ゴールドよりは少し白っぽい金色です。

金色は神々しい色なので、ゴールドが錆びなくて理想ですが、希少で多用できなかった代わりに青銅が使われたのでしょう。
そのような美しく輝く金属も錆びによって変色してしまうことを見て、夏の間青々としていた緑も秋になると色あせてしまうことに重ねて考えたと思います。なにか物悲しい、やがて冬が来て、生き物が少なく静寂が訪れる予感、そんなイメージが錆びると重なったのではないでしょうか。

しかし、物事には二つの面があり、秋になって植物が冬に備え種子を実らせることで、人間にとって必要な穀物も収穫できる。実りの秋にもなる。植物を鎌という五行の金の力で刈り取ることで、実りを確定する。
さびしさとうれしさは表裏一体。さびしさが深いほど、さびしさが満たされた喜びも大きくなる。
秋にもの悲しく鳴く鹿は、求愛行動としての鳴き声、パートナーとなる雌がいない寂しさ、愛するパートナーを求める魂の叫びでもあります。
今は一人孤独でも、鳴くことによってその先には愛するパートナーを見つける未来がまっている可能性があるのです。

このような潜在的な2面性を持つ、五行の金は時代の変化によっても意味が変遷してきたように思います。貨幣経済が発達し、生活の中でお金の重要度が増したためでしょう。

文献的にも、五行の金を刃物・刀剣の厳しさ・悲しさのイメージでとらえるのは比較的古い時代、東洋医学が形成されてきた前漢から後漢にかけてのような印象です。その後、占術の学問が発展する中で、金=お金の象意という傾向が強くなったような印象を受けます。

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