思いすぎると脾を傷(やぶ)るとは?

東洋医学では思いすぎると脾を傷るとしています。ここでいう東洋医学の脾は脾臓のことではなく、脾臓と膵臓を合わせたような部分で、機能としては消化器全般を指しています。

気の能力が高まると、ごはんを食べながら思考すると胃腸の動きが止まることに気づきます。

永平寺などの禅寺の修行における食事風景をドキュメント的な動画(参考動画クリックでyoutubeへ移動)でみると、静寂の中、美しい所作で、粗食の極致とも言える食事をしています。

禅における食事の方法は、胃腸の動き、気の流れから考えると理にかなっています。あるいは粗食なので、正しい胃腸の働きでなければ、栄養を吸収しきれないので長期的には体が危険になるからなのかもしれません。

でも、食事をしながら家族や友人と会話したいという意見もあると思います。気の流れを観察すると、楽しく会話して食事をしていると、あまり胃腸の気は乱れていないようです。なぜでしょう?

五行説では思うという感情とは同じ土に属します。土というのは、不動性があり、思うという感情もそのような性質があると考えられます。人は考えると立ち止まる。あるいは立ち止まって考える。集中して考えようとすればするほど、自然と身体は止まってしまいます。胃腸の動きもそれによって影響を受けます。また、五行が同じなので、波長、波動の共鳴性の原理により強い影響を受けるという面もあります。

それに対して、楽しく会話しているときの思考は、話の流れに乗って軽やかで、深い考慮を必要としていません。ひらめきをもとにした思考で、踊るような思考です。

楽しい感情は五行では「喜」と表現され、これは五行の火に属します。五行相性の理論では火は燃えて灰(=土)を生ずると考え、これを「火生土」と言います。つまり、楽しい思考をすることにより五行説では、土のエネルギーが生じて、脾(=胃腸)の働きは助けられると考えられるのです。

ここから逆に、最も悪い思考についても導くことができます。

土の不動性を強め、胃腸の働きを止めてしまうような思考が最も体に良くないわけです。同じ所を堂々巡りするような思考くよくよといつまでも思い悩むような思考、これが最悪の思考となります。

実は、五行の土の思考にはもう一つ上位のものが定義されており、それは「智」です。

智とは英明な知性であり、これによって考えて(=思って)意味があることなのか、考えても答えがでないことなのかを判別することができます。また「思う」のにふさわしい時なのかも智によって判断すれば、ごはんをたべながらくよくよ思うということは、何の意味もないので自然にしなくなるのです。

智を磨いて、一人でごはんを食べるときは、スマホをみながらなどのながら食べをやめて、禅的食事を行い、

みんなでごはんを食べるときは、楽しく軽やかな思考を心がけるというのが、東洋的正しい食事法と言えるでしょう。

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